上手くなりたい いい絵が描けるようになりたい たくさん描きたい
2023年 暖かな冬
後記:
「言葉を離れる 横尾忠則 著 」以下抜粋
“少年時代は感性が心を鍛えてきたと思いますが、今人生のたそがれにあって感性はかえって不必要な気がしないでもありません。芸術は感性だけでは成立しません。感性はどこか女子供の性質に近いように思います。ぼくの今の年齢でまだ感性に頼っているとするならば、それは下手するとガキの芸術になりかねません。三島由紀夫がうんと若い時期にこのことに気づいています。——中略—— 芸術家にとって感性は創作の門でありながら、最終到達地点に着いた時にはそれを捨て去っていなければなりません。——————”
私は油絵がどうにも描けなくなりもう無理だとなった後、頭を冷やして、もう一度絵を楽しもうとしたとき、上記に似たような思いに至りました。言葉は違うけれど、思いだけでは絵は描けない、絵作りをしなければ絵は描けないということに気付きました。思いとは感性のことで、絵作りとは冷静な眼差し、一手のこと。世の絵描きはそれを意識的にか無意識か、あたりまえのこととして筆を握っていることに、それを自分だけが知らずにただ苦しみキャンバスに向き合っていたことに愕然としました。(皆それぞれの理由で苦しんでいるのですが。)本当に本当のことは誰も教えてくれないとは本当のことなんだと思いました。感性や観念でいい絵は描けない。感性や観念で絵を描いているとき、絵と自分がイコールになりすぎて距離がない状態。それは絵作りではない。そのことに私は32歳でようやっと気付いた、というか腹に落とせたのです。うすうす気付いてはいたけれど、どうしても諦められず一枚に何年も向き合ったりして自分で自分を追い詰めていました。今でも気を抜くと当時の観念の制作に戻ってしまう時があります。例えば上記のような思いを綴っているとき。。昔の感覚を思い出して、あダメだ、なんかこっちじゃないと思って自分の心を微調整します。そうすると今回は横尾さんの言葉に出会うことができ、また絵と適度な距離を置いて描けます。そんなことの繰り返しですが、昔も今もいい絵が描きたいことに変わりはなく、今は今のやり方で描いていきたいと思っています。