ゴッホといちじく/主線について

Pieces of Van Gogh

 

晩年、ゴッホの主治医でありパトロンでもあったガシェから、
「怒りを感じた時はどうする?」と聞かれ、
「外に出て、草の葉やいちじくの枝を見て、気を鎮める」と答えていたゴッホ。

 

ジタバタの脳みそに、一筋の風が吹き抜ける


ちっぽけな自分が立っている

 

ベランダでいちじくの小さな鉢植えを育てているのですが、秋口はどの葉よりも鮮やかにひかるようすを眺め、ゴッホもこの大木を眺めていたんだと、思いを馳せたりしていました。

AdamとEveが禁断の果実を食べ、羞恥心が芽生えたことで、それまでの裸体から纏うようになった腰巻き、いちじくの葉を合わせてつくられたのですね。

ゴッホもそのことに思いを馳せたりしていたのだろうか

 

✴︎

 

昨年からアキーラでも表せる主線を求め、顔料系インクをペンで引く、というところに辿り着いていました。
(主線の探求は、8年前から続いているのですが…)


ブラックとセピア系を混ぜて、もっともフィットする色を作りました。
これならアキーラはもちろん、ウォーターにも使えるし、どちらの絵具にも同じ線を引けます。また、染料系より顔料系の方が耐久性があるので、今まで以上に堅牢度の高い作品にもなるぞと思っていました。


一見、いいことづくめに思えたNEW主線ですが、私、違和感を感じていたんですね。


その違和感、違いは、微細でぱっと見は分からないかもしれないし、まだ使いこなせてないだけかもしれません。
せっかく意中の色を作れたし、耐光性も高いし、より細い線も引けるし、なにより、探し求めてやっと辿り着いたし…。そんなふうに、違和感よりメリットの方が多いからと言い聞かせて、使い続けることもできるのですが。。


私、違和感をなかったことにしませんでした。だって、これじゃないって私が言っているのだから…!


些細な取捨選択、日常はその連続で、自分の声を聞いてあげられてないことたくさんありますが、制作でそれは許されないこと。ちょっと表現きついかな、放っておかないのが自分へのやさしさということ。


自分のもっとも基本的な本能を信頼する
Trusting my most basic instincts

 

今描ける絵をめいっぱい描こう。


それしかできないけど、それができるのだよ。