「生活は塊ってやってくる。一人ぽっちの日々が塊りで続いたと思ったら、息つく暇もないせわしなさの塊り。
ー中略ー
目下は生活がせきを切って溢れ、慌ただしいことこの上もないが、その下流にあって私に考えさせるのは、今までなんとか繕ってきた過失のほころびである。」
メイ・サートン 独り居の日記 四月二一日より
自分を取り戻そうとする期間はなぜか決まってサートンの日記をめくっているのでした。近い日付を探して。
自分の単位で暮らしていると、生活は塊ってくる。自分のなかに潜り込む期間、そとに出て外交に励む期間。インプットまたはアウトプットに明け暮れて、あと少し、もう無理だ、、となったらやっと次の塊りに突入する。
できるだけゆるやかな波を願っている。しかしもうこれが描けたら何も要らない、と自分の熱に拍車をかける性分なので、凪や漣には縁遠い。
小さなベランダの春。
夜に眺めると、花やつぼみの白が、部屋の明かりを受けて、発光して見える。幻想って感じがする。見えてるとおりに撮影できたらいいのに上手く撮れない。雪や雨、桜吹雪も上手く撮れたことがない。小さな白を捉えるのはむずかしい。
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個展に間に合わなかった小さな絵は色に迷いがあった。フレームの色と絵の主題が、最後までしっくりこない中で描き進めようとした。憑き物が落ちつつある今眺めても、やっぱり描ける気がしない。この主題はしばらく眠らせておく。
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久しぶりにクートラスの展覧会ポスターを壁に貼った。2015年とある。今から9年前、monsieurと出会う2年前。もっと昔のように感じる。9年前の自分が別人のように感じる。