銅版画教室。ドライポイントの体験へ。
銅板にニードルでガリガリやる。そわそわの気持ちと勢いだけで削ったけれどインクで刷られた線がきれい。濃い線ってきれいだなぁ。実力以上のものが出てるというか、かたちになりやすい…?黒で出る部分と余白のバランスが大事と感じた。回数を重ねることで分量と反転の予想はつくようになるのかな。次回はもう少し描写を足してグレートーンにメリハリをつけたい。線のさまざまな表情が出せるようになるといいなぁ。次はエッチングだ~
中之島美術館で開催中のTATE美術館展を観る。コンスタブルのメゾチントに目が行った。すごい技術力と表現力。デッサンやメゾチント等の線と光の表現があのくらいだったら油彩画の面と光があのくらいになるのか…などと置き換えて鑑賞したり。
またハンマースホイの油彩が2点来ていて、生で観るのは15年振り。15年前の国立西洋美術館での個展では来場者が多かったのもあり、目の前の作品と心通わせるまでに至らず、なんとなく消化不良だった。ところが今回、絵具の置き方とか描写がスィーと自分に入ってきて、冷静に見えたというか、ナチュラルに絵画鑑賞を楽しめた。同じく来場者は多かったけれど、心象的な見方ではなく解説的に見たからかなぁ。人前で泣いたり怒ったりするのを自制するように、美術館で作品を見るときは他者がいることが常に意識にあり、感情に制限がかかる。昨今はスマホ撮影OKな美術館も増えつつあり、更に作品に心を委ねたり集中することが難しくなってるような。作品の静寂と対峙することは、静かな自然を全身で感じることに似ており、大勢の空間では至難の業、ならば大型美術館という喧騒を楽しむ方法を考えるといいのかもと思った。
美術館はこれから更にアトラクション化していくのかな。音声ガイドは人気芸能人推しで客層の幅を広げ、グッズは文具や衣類や食品など身の回りを網羅して、記号化された作品たちはどんどん一人歩きして新たな見方を与えられ、それぞれのかたちで人々の記憶に刻まれて…それでいいのかな。それはそれでいいような…。沢山のさまざまなきっかけや出会いを生み出そうとしてるってことで、それらを操作さえしなければ。歴史や事実を曲げさえしなければ?
賑やかな世界にちょっと疲れたときは、美術巡りはお休み、静かな自室でゆっくり画集をめくればいいのだ。