下地を作っているとき、心地よいと感じるマチエールの流れがあり、支持体を縦にしたり横にしたりして、どちらから見ても気持ちいい痕跡が出来上がったら完成としている。
その流れというのは自分の感覚によるものだから基本同じで、手の流れが水彩のセピアの下地と同じだなと気付いた。
キャンバスの場合はちょっとここに引っかかりを作ろうとか端の凹凸を強めに残してみようなどアレンジを加え、わずかに異なる表情のバリエーションを意識している。
下地だけだとそれでいいのだが、その上から何を描くか未定の状態で作るために、描く主題に対して本当にそのマチエールの流れでいいのか、最適であるのかはまだ分からない。
こんな絵が描きたいというのが出てきたら、作った下地の中からイメージに合うサイズとマチエールを選ぶ。
描き始めるとマチエールが全く意識に入ってこなかったり、逆にここはちょっと削ろうとか、ここに足したいななどさまざまに感じている。
そもそも必要なのかなとも考える。絵の主題を一番に考えると、そうでないこともあるかもしれない。描き手のエゴなのかもしれない。
それを踏まえて下地を作るのは求めている絵肌があるということで、その絵肌と主題が影響し合い、絵が出来てくる。
描いているとき、下地作りのようなマチエールを作る意識はない。描くことが全てになる。
描けるようになりたい。
描いていると同時にマチエールを作り上げていくような絵に惹かれる。

油、一番最初に使い切ったのはまさかのピンクベージュ。
次はひと回り大きなチューブを買ったよ