なぜ絵を描くのだろうという問いに、考えても仕方がないとよく言われるけれど、仕方はあるなと思っている。仕方がないという言い回しは、答えが出ず埒が開かないとか現状どうにもならないと思われる事柄に対して使われると思うけれど、それを自分に対して使うのはちょっと待った!と思ったりします。
必ずそのとき感じていることや思いは発生しているから、それが今の自分の声であることを自分だけは知っていることがとても大事で、もしかしたらそれが他者や世間に見せられるようなしっかりした体裁でないからそれが答えだなんて思いもしないという状態があるかもしれないけれど、外は一切関係なく、大事なのは自分が感じていることを感じること。それが自分の暫定的な答えだと気付くことだと思う。
今感じていることは、答えに出会うまでの道筋だから。
それをね、しっかり感じきると、安心するでしょ?
感じていることを感じきるって、自分を感じきることだから、生きているを感じる。まだまだ感じきれていないこと多いだろうなと思うけれど、ひとまず一区切りコンマを打つ、感じきって暫定的な答えを知る。
それがどれだけ拙く頼りなくても、自分しか知らない答えだからどんな表れでもいい。あ、この考え自体が他者や世間を勘定に入れた考えだなと気付いたり。。
冒頭の私の暫定的な答えはね、
描きたい気持ちがあるから描いている。
描きたい気持ちが生まれるから、じゃあ描こうかねとなる。
描くことが好きというのは少し違っていて、好きだから描くというより、描いていると好きが帰ってくる。ただ魅了されている。
はっきり好きと言えるのは、絵を見るのが好きということ。
本を読んだりジャズを聴いたりするのが好きで、こんな文が書けたりピアノが弾けたりしたら、楽しいだろうな気持ちいいだろうなと憧れるけれど、じゃあ執筆しようとかピアノを練習しようとかは思わない。(ピアノはいつか触りたいな…)
でも、絵は、いい絵を見たら、描きたいと思う。
生活と心の中心が絵になるとそれ以外は適当になるから、いろいろなんだかギリギリだ。それでもいいから描きたい気持ちを守りたいと思う。満たしたいというより守りたいという感じだ。それはなぜかなと考える。。。
これが私の道筋であり、暫定的な答えです。

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