ここ2週間制作から離れて転居の準備を進めている。取り掛かりはじめは転居日までに荷造り諸々終えられるか夢中に取り組んでいたけれど、目処が立つところまで片付くと、ここを離れる実感が一気に流れ込んできて引越しブルーに。
一つ一つがやさしくて満たされていたんだなぁと独りごちる。
この5年よく生きてきた、守られていた。
家や町への愛情が溢れ夜は泣いてしまうのだけど、一方で家の売却にあたり不動産の方々と展開やお金のことなど話をさせてもらったりして、社会的な自分が同時に存在していることが私を律してくれているのを感じる。
バランスで生きているのを感じる。
小さなことでくよくよしたくないけどね、小さなことでくよくよする心って愛おしいね。
家は広いお布団のよう。自分に還る場所だからさ、社会的な風が入り込むのは変な感じだった。外だったらいくらでも社会性を発揮できるのにね。どちらも私たらしめる要素であり、そのバランスの加減が人の数だけある。
引っ越したら早く制作を取り戻したい。日常に戻るんだ。
新しい生活より日常をイメージしてる。
損得や利害なく私のことを一番に考えてあげられるのは私しかいない。
相手に問う前に私はどう感じているのかな?それが大事なんだ。
心が目的とは関係のないところで動かされているのを感じていた。
例えばね、お出ししたお茶をごくごく飲んでらしたなぁとか、電話越しに聞こえるウィンカー音がカチカチカチと静かな車内に響いていたなぁとか。
なぜそんなところを拾うのだろう。目的に通じるクリアな思考ができないのは、私が心をもった人間だからなんだ。
相手を言葉でよろこばせるよりも、よろこんでもらいたいとか意識していない素性に心が動く。それを拾っている。
その奥にあるその人自身を感じているのだと思う。
こちらを選んだらあなたの依頼への優先順位が下がりますとはっきり言われたとき、頭のいい人は割り切ることが上手だと思った。壁や床の補修の計画をお話したとき、それは必要ないので無駄な労力は使わずその分引越し準備に注げばいいと言われたときも呆気にとられ愉快だった。ややもすると失礼なこと言われてる風?だけど、時間の使い方や割り切り方は学ぶべきところがあるなと思った。(気の澄むまで補修したけどね☺️この家の素晴らしさは私が一番知っているから、家がよろこぶことも同じく。取引することと家への愛情は全く別物なんだ。)
chatGPTに少し相談してみたら、状況を上手にまとめてくれて、私が何を重要視したいかなのだと導いてくれた。
安心感は一つじゃないね。あたりの良さやスマートさ、経験値からくる分かりやすい安心感に心地よさを感じることもあれば、一見与えてもらっているものは何もないと思えても、ただ私が私らしく本音を話せることが安心感なのだと気付くこともある。
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今日の社食は七夕プレート🎋
星形のコロッケかわいくて美味しかった。