台詞に出会って

あれ、描きはじめはなんだか小野竹喬風? ふふ、図々しく候。

 

先日、ある台詞に出会いました。

「あきれるほど身の程知らずね」

どうだろう、周りがあきれてしまうほどに、立場を弁えず、無鉄砲で自信過剰、本人ケロッとしているようなこの感じ。

心のなかの自由を思い出せる台詞だなと感じました。

私は、私の中だけなら、あきれるほど身の程知らずでいたいなと思いました。だから小野竹喬も平気で言っちゃおう。

 

日々描きたいものを横断しています。目の前に集中、を重ねている。すぐにね、もやの渦に入ってしまうから、目の前のやりたいことに取り組んでいます。そうすると、もやの時間はすごく減る。今は朝起きたときだけ感じてしまうけど、その他の時間は結構いい感じです。

筋を通すとか辻褄が合っているとか、初志貫徹や首尾一貫や。そういう志しでいることが、周囲から信頼される大人になる軸の一つだと、少し前まで思っていました。それは、心じゃなく頭優先の状態なのだけれど。ずっと平気~なフリをしていました。少しずつ麻痺してきて、自分が分からなくなった。毎日の自分の言動が、私をここへ連れてきてる。

頭優先は他人優先に似た状態だったのですね。

今はね、本当に小さな、些細な、自分のwantに耳を傾けて、実行しています。

もしこのdiaryを読んでくれてる方がいたら、一緒に実行しませんか?と言いたい気持ちです。

自分のwantに耳をすまして、実行。

結果や成果などは不要で、wantを実行している今、楽しいと感じる気持ちがとにかく大事で、その今を重ねていくと、心優先が研ぎ澄まされて、とってもいい感じになる気がするのです。スタートしたばかりだから、気がするとしか言えないのですが。

 

それでは小野竹喬から私の雲へ、描き進めてゆきます。

 

枯れてゆくようすも好きでやんす